二本松市 旧東和町 TOWA

イベントカレンダー



3月
4月 白鳥神社祭礼(神楽舞)
隠津島神社祭礼
5月

6月 各カヌー競技大会 開催
7月 東和ロードレース大会
8月 木幡の三匹獅子舞

9月
10月 針道のあばれ山車(体育の日の前日)
町一周駅伝競走大会
岩倉の三匹獅子舞
若宮八幡神社祭礼
11月 川向八幡神社祭礼

12月 木幡の幡祭(第1日曜日)
1月
2月


木幡の幡祭
 日本三大幡祭りの一つと言われる900余年の歴史と伝統豊かなお祭りです。 白幡を先達に赤青黄色とりどりの五反幡、百数十本が勢揃いし、 ホラ貝を吹き鳴しつつ木幡山の尾根を継走します。 吹き付ける寒風にゴウゴウとなびき山嶺を進む様子は、 素朴な中にも豪壮な偉観を呈し、見る者を驚嘆させます。
 この祭りは前9年の役天喜3年、西暦1055年にさかのぼります。
後冷泉天皇の命を受け陸奥征伐に出向いた源頼義とその子義家の率いる官軍勢は、 戦いに敗れわずか数騎で逃れ、 付近の農家で一夜の宿をとったのでした。 するとその夜、天女が夢枕に現われ 「ここから東方一里にある弁財天宮で祈願しなさい。 そうすれば願いが叶うであろう。」とお告げされました。 源義家父子ら軍勢は、早速神社にて戦勝を祈願したのでした。 一方安倍の頼時は貞任、宗任を従え伊達の信夫に陣をかまえたのでした。 その夜、折からの雪で山上の木は全て源氏の白幡のようになり、 貞任、宗任らの目には官軍が多数いるかに見え、 戦わずして引き返してしまいました。 これが陸奥鎮定の原因となり朝廷に奏したところ、 天皇はこの山を”木幡山”、山すその別当寺院を”治陸寺 (陸奥を治める)”と名付けられ、 後冷泉天皇宸筆の額を賜ったのです。
 その後、神仏の加護を深く信ずる郷土民は、 源氏の白幡になぞった手織りの五反幡をつくり木幡山をねり歩き、 源氏の武勲を称えあったのです。
「木幡の幡祭」は、こうして始められ900年の伝統を今に伝えています。

針道のあばれ山車
 この”あばれ山車”は、天正13年8月(1587年) 佐藤源太(信秀)の時代より400余年の伝統をもっているお祭りです。
 諏訪神社の祭礼が正しく記録されたのは、寛保、宝暦頃からで、 宝暦8年(1758年)当町一帯に凶作が続いて疫病が大流行した際、 神託によって占い神輿の渡御を願いで、 この時安積郡大槻村(現郡山市大槻)から獅子頭を求めて神楽を行い、 その頃から人形を飾り付けた山車、 神楽ばやしを奉納したと記録されています。
 その後、安永元年(1772年)には幕と人形道具一式が3社に奉納されましたが、 天明の凶作によってしばらく中断。 天明8年(1788年)にようやく盛大に祭礼が復興しました。 寛政年間(1790年)は、 人形に美しく飾り付けた屋台とともに、 狂言屋台(ニワカという田舎芝居)も行なったといわれています。

旧東和町 宿・お店


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